スポンサーリンク

 

 

 

 

コーヒーの美味しさを追求する場合、欠点豆を取り除くハンドピック(ハンドソート)という選り分け作業はどうしても必要になります。品質の悪い豆や焙煎に失敗した豆を取り除くことにより、雑味が減少してより高品質なコーヒーとなります。たった一粒の欠点豆が一杯のコーヒーをまずくすることもありえます。

 

 

 

コーヒーにある程度詳しい人なら常識となっているこの選り分け作業。今までは手網や焙煎器で生豆を煎るとき、焙煎後は当たり前のように焦げ豆を取り除いたりしていました。ですが、コーヒーの楽しみ方のひとつとしてあえて焙煎後のハンドピックをしないというのもあっていいんじゃないかと思っています。もちろん、コーヒーを販売する業者はハンドピックをするべきですし、誰かをおもてなしするなら良質なコーヒーを振る舞って「美味しい」と言ってもらいたいです。

 

 

 

この「ハンドピックをしない」という楽しみ方は、主に自分自身のための、人生が豊かになる感性を養う楽しみ方です。

 

 

 

 

 


 

【運命を受け入れ、美味しいコーヒーになった時の感動を楽しむ】

 

引用:https://www.amazon.co.jp/スヌーピー

 

 

 

人生に役立つ名言が多いことで有名なスヌーピーの作品で、こんな台詞があります。

 

 

 

 

ルーシー「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」 
(時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ。) 
スヌーピー「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)

 

©peanuts worldwide llc

 

 

 

 

この「配られたカードで勝負するしかないのさ」という言葉。自分の現在の状態を受け入れ、その中で出来る限りの事を行う。ありのままを受け入れ、それも運命だと納得して人生を歩んでいく。仏教の悟りの境地の考え方であり、人生を豊かにしてくれる考え方です。

 

 

 

この考え方をコーヒーに当てはめると、1杯のコーヒーに使う豆に欠点豆が入っていたら「そういうもの」、良い豆ばかりで美味しくなったら「超ラッキー」となり、ただ単に雑味が無いだけで幸せな気分になります。(※ 悟りを極めれば、雑味があっても「これでいいのだ」と楽しむ事ができると思います)

 

 

 

「当たり前」という感覚が強くなるほど、人は幸せから遠のいてしまうのではないかという思いがあります。美味しいコーヒーなのが当たり前。欠点豆が無い事が当たり前。蛇口をひねれば水が出るのが当たり前。親や配偶者・友人がいるのが当たり前。健康なのが当たり前。

 

 

 

一流の農園から取り寄せ、生豆を丁寧にハンドソートし、腕のいい職人が焙煎し、焙煎後も良質な豆だけを選び、適切な抽出法で淹れられたコーヒー。美味しいのは当たり前です。自分で焙煎をしたとき、あえて豆を選り分けずに味を不確定にする事により、美味しいかどうかは飲むまでわからないというドキドキ感と、偶然にも美味しくなった時の喜びを楽しむ事ができます。

 

 

 

 

 

 

特に、野外でのコーヒーではこの「味のばらつき」をより楽しめると思います。登山・アウトドアというフィールドは不確定要素が大きい場所です。天候が良ければラッキー、絶景が見れたらラッキー、目当ての動植物に出会えたらラッキー。そんな自然の中でのコーヒーもまた、「美味しければラッキー」であっていいのではと思っています。

 

 

 

コーヒー豆焙煎後のハンドピックをあえてやらない、という楽しみ方。あるがままの運命を受け入れつつ、あるがままのコーヒーを味わう。人生が豊かになる一杯になりえるのではないかと思います。

 
青山
記事内容がお役に立ちましたら、SNSでシェアして頂ければ嬉しいです。