険しい断崖絶壁の山や、雪崩・滑落の恐れがある雪山。一部の登山好きは死と隣り合わせのような冒険を好み、一般人が行きたがらないスリリングな場所に好んで行っています。
なぜ危険な登山をするのでしょうか。NHKのサイエンス番組「ヒューマニエンス」で2021年2月4日に放送された「“スリル” 限界を超える翼」の特集に、その理由を解明するヒントがありました。
目次
「スリル」という感情について
番組ではまず「スリル」という感情についての説明がありました。
人間には6つの基本感情「怒り・悲しみ・恐怖・嫌悪・喜び・驚き」があり、「希望・あわれみ・尊敬・ねたみ・ロマンチック」などは派生感情と呼ばれています。
スリルは「恐れ+喜び」の派生感情で嫌なのに求めてしまうかなり複雑な感情だそうです。
スリルを楽しめる人・楽しめない人がいる
ジェットコースターが好きな人と、嫌いな人がいます。
「スリル」を楽しめない人は、ジェットコースターに乗っても緊張と恐怖で心拍数が上昇したままになりストレス・苦痛を感じます。ただ恐怖を感じるだけです。
「スリル」を楽しめる人は、ジェットコースターの落下が始まると高まっていた心拍数が戻って体の緊張が和らぎリラックス・快楽状態になります。「恐れ+喜び」でスリルの感情が生まれます。
なぜリラックス・快楽状態にできるのか。人の脳は恐怖を感じると臨戦態勢になり心拍数を上げるアドレナリンと快感物質のドーパミンをほぼ同じ量で分泌するのですが、スリルを楽しめる人は「ジェットコースターは安全だ」と認識すると心拍が下がりアドレナリンだけが減ってドーパミンが多すぎる状態になります。日常生活では体験できない強い快感が味わえるので、ジェットコースターが好きという訳です。
登山もジェットコースターと同じで、困難な山や危険な山はアドレナリンとドーパミンを多く分泌します。技術や経験や装備などで「危険をコントロールしている」「安全だ」と心が認識するとアドレナリンは落ち着きドーパミン過多の状態になります。「難しい道のりを歩いてアドレナリンが最大限に高まり、山頂に到着して絶景を眺めて一息つく」という一連の流れも、アドレナリン量が減ってドーパミン過剰状態に。達成感も加わって、超快楽状態になります。
スリルが好きな人、嫌いな人を調べるテスト「刺激欲求尺度」
自分自身がスリル好きかそうでないかを調べる心理学のテストがあります。
質問数は15。「あてはまる」が4点、「ややあてはまる」で3点、「ややあてはまらない」が2点、「あてはまらない」が1点。合計点数でスリルの素質が測定できます。
1.少々危険でもスリルのあるスポーツをするのが好きだ。
2.少々危険でも活動的な仕事の方が好きだ。
3.スリルのある活動や冒険的な行為は好きだ。
4.成功する見込みはあまりなくともあえて危険を冒す方だ。
5.スピード感ある乗り物が好きだ。
6.流行に合わせて趣味を変えるのも楽しいものだ。
7.スキャンダラスな話題が好きだ。
8.騒がしいが楽しい雰囲気の中で踊るのが好きだ。
9.常にマスコミに接して新しい情報を取り入れるのが好きだ。
10.ハラハラさせることがあっても飽きさせない人とつきあうのが楽しい。
11.特殊で変わった仕事をしてみたい。
12.できるだけ変わった経験のできる仕事をしてみたい。
13.できればさまざまな経験をしてみたい。
14.目新しくて変化に富んだいろいろなことをしてみたい。
15.興奮したりわくわくすることが好きだ。
45~60点 ハイ・スリルシーカー(スリル好き)
15~29点 ロー・スリルシーカー(スリル嫌い)
スリルを求めてエスカレートしてしまう危うさも
「スリル」を味わうカギになっているのが、人間の脳の前頭前野(前頭葉)。記憶や経験をもとに判断して感情や行動をコントロールしている部位です。
前頭前野が「今の状況はこれまでの経験からすると危険ではない」と判断すると、アドレナリンを出す扁桃体に命令を出して心拍数を抑えてくれます。
経験を積むと恐怖を抑えられる訳ですが、その反面、経験を積めば積むほど快感物質の量は減ります。
人間の身体能力の向上には限界があり、加えて年とともに老化が進めば身体能力が下がっていきます。
刺激を求めて難しい場所に挑めば挑むほど、事故に遭う確率・命の危険が高まっていきます。
危険性を下げる手段としては「新しいことを始める」という方法があります。
登山だけでなくクライミングやサイクリング、カヤック、パラグライダーやスカイダイビングなどを始めれば、未知の世界が刺激となり再びスリルが味わえます。
ハイ・スリルシーカーが高難易度の登山に「慣れ」てしまったなら、より極限を攻めるよりは世界を広げた方が安全かもしれません。
人類にとって「スリル好き」は進化を助けるグループだった
番組では、ハイ・スリルシーカーが人類の進化を助けたと考察されていました。
人類の祖先が暮らしていた高い木の上は天敵がいない安全な場所。木から落ちれば肉食獣などにやられる危険性が増します。
ですが、ハイ・スリルシーカーたちが危険を冒して木を降り、豊富な食べ物などの報酬を得たり、新天地を見つけたり、火を使ったりし始めたことで、生存に有利となりました。
ハイ・スリルシーカーが人類の進化の道を切り開いたと考えられています。
ロー・スリルシーカーの役割と必要性
そして、ロー・スリルシーカーも人類にとって必要な存在です。
高所作業員はハイ・スリルシーカーが多い印象ですが、番組で取材した会社はハイとローがほぼ同数。
臆病で安全重視のロー・スリルシーカーがいることで安全対策が徹底され、ミスによる事故が減少されます。
実際、刺激欲求が強すぎる人は危険の見積もりが甘いと言われており、ある程度怖さを持っている方が高所作業員に向いているとの事です。
人類の祖先が地上に降りた時、犠牲になった人を上から見ていたグループがいたから種が生き残った。
ハイスリルシーカーが道を拓き、ロースリルシーカーが改善を続けて適応していく。
危険な場所を安全な場所へと変えていくことで、人類の祖先は世界を広げてきたと考えられています。
ハイ・リスクシーカー登山者へのアドバイス
番組の最後あたりで、ハイ・リスクシーカーへのアドバイスとして吉田兼好の徒然草「高名(こうみょう)の木登り」が取り上げられていました。
木登りの名人が弟子に「木に登って枝を切れ」と指示。弟子が高いところにいるときは何も言わず、地面まで2~3mくらいの高さまで降りたくらいで「怪我するぞ、注意しろよ」と声を掛けた。
この程度の高さだと飛び降りても大丈夫でしょう、と名人に尋ねると「そこなんですよ。目がくらくらするくらい高くて危ないところは注意して動ける。ミスはなんでもない場所で起こるものなんです」と答えた、という話。
登山の世界も同じで、「難所」という危ない場所で発生する事故もありますが、「まさかそんなところで落ちる?」という何でもない場所で崖から落ちたりします。
特に、難所通過後や山頂に登った後の下山中など「安心して気が抜けたところ」での事故が多いです。
ずっと気を張り続けるのは大変ですが、「高名の木登り」のように気が抜けやすいポイントを理解していれば多少の対処は可能です。
番組では「『家に帰るまでが遠足』ですね」とコメントしていました。言葉にすると幼さがありますが、「家に帰るまでが登山」という自戒の念を持てるかどうかが命を左右するのではないかと思います。
ヤマノモリ(yamanomori)
安全登山てぬぐい 家に帰るまでが登山